2016-06-01

古いのに古くからあることをあまり主張してこないモノレール


ここのところなんだかまたこのブログに戻りたくなってきているボクがいます。
またきっといつか会える。
そうなんです。
どうも。


東京モノレール

かなり見慣れているのでそんなに意識してなかったですが、
これ、かなり昭和遺産ですね。
思えば、小学校の修学旅行でもこれ乗って羽田空港まで行ったっけ。
飛行機に乗ったわけではないですが…

奥に見える「貿易センタービル」もかなり昭和感いっぱいです。


いつまでも元気よく走っておくれよ、モノレール


2016-04-04

こうして消滅していく昭和文化たち



船橋オートレース場


みなさん行った事ありますか?正確に言うと、行った事ありましたか?

オートレースとは、競馬や競艇のような公営ギャンブルのひとつで、
昭和の時代から長く親しみ続けている庶民の娯楽です。

ボクはそこまでオートレースのことを知っていたわけではありませんが、実家が浜松オートレース場のすぐ近くで、
幼い頃からレース場から聞こえるバイクの音には馴染みがありました。


船橋オートレース場がある南船橋という場所をみなさんは知っていますか?
IKEAがあるところ、といえば最近ではイメージできますかね?
90年代でいうと、ザウスがあったところです。
当時、湾岸線を車で走っていると、あの巨大な構造物がすぐに目に入ってきましたよね?
もっと昔は、飛行場もあったという話も聞いた事があります。
反対側には、ららぽーとや船橋競馬場があり、とにかく人々が集う土地のようです。
この辺りの土地は最近は高層マンションも増えるなど、有効な(お金になる)土地利用に一部の権力者の垂涎の的
だったのではないでしょうか?

2016年3月をもって閉場されてしまった船橋オートレース場。
オートレースの発祥の地です。
65年の歴史があったそうです。
閉場を決断したのは、森田健作千葉県知事。

閉場には賛否両論、というかかなりの反対運動が起こっていたようですが、選手たちをはじめとするオートレースを
愛する人たちの存続への想いを、いとも簡単に(そのようにみえる)断ち切ってしまった、この「権力者」が直接の原因
だと考えるのが普通でしょう。
オートレース事業が赤字だったとか、騒音とか、ギャンブルが健全ではないとか、時代に合わないとか、
そんな話もあったのかもしれませんが、じゃあパチンコをはじめ、他のギャンブルはどうなのかと?

真実はわかりませんが、お金の匂いがプンプンする話ではないですかね、これ?


さて、そんな船橋オートレース場での本場開催の最終日、仕事を抜け出して訪れてきました。

観戦できたのは最後の3レースだけでしたが、それはそれはとても感慨深いものでした。
結局、最後のレース後の閉場セレモニーと走路内ウォーキングまで参加して帰ってきました。


昭和な娯楽施設がまたひとつ姿を消してしまった事への寂しさだけではないんです。
われわれの指導者たちは、相も変わらず大切な「庶民の心」が見えていないのか、という失望もあるんです。


ただ、オートレース自体が無くなるわけではないので、まだまだ他レース場で楽しみたいとは思いますが。


2016-03-12

2016.3.12



そしてまた、1年がたちました。
みなさん、お久しぶりです。

3.12

その翌日。
一歩踏み出した日から5年。
もしかしたら、記憶がまた薄れていく1日目なのかもしれません。

寄り添う心と、防災意識はつねに忘れずにいたいものです。


本当に本当に、きょうもまた穏やかに過ごすことができ感謝しています。

ありがとう。


2015-03-11

2015.3.11




どうも、お久しぶりです。
ここまできたら1年ぶりに投稿してみようと思ったわけです。
いつも見ていただいていた方々、お元気ですか?
それにしても、久々すぎて投稿の仕方を忘れてしまっています。

今年も、14:46に撮影しました。
部屋の窓からありふれたいつもの日常を撮ろうとベランダへ出ましたが…

こういうことです。
日本人の心。

直後、涙があふれて止まりませんでした。

今を生きる日本人に、こんなに心がひとつになる瞬間が他にあるでしょうか?

忘れてはいません。
忘れてはいけません。

今日もまた、平穏に過ごせたことに感謝しています。


ありがとう。




2014-03-11

2014.3.11





三年が経ったんですね。

14:46に写真を撮ってみました。

被災した方々のご冥福を祈りつつ。
傷ついた心が少しでもいやされることを祈りつつ。
優しく穏やかで幸せな日々が皆に訪れることを祈りつつ。



 



2014-01-10

写しとめられたのではなく、導かれた懐の深さに感謝しつつ、あらためて「使命」に背筋が伸びた思いから始まる2014





あはは。

とりあえず笑ってしまいました。
この風景にではなく、投稿をこんなに怠っていた事に、です。
サプライズ投稿! なんちゃって。
驚かせてしまってスミマセン。


いやいやいや、2014年ですね。
なんと、今年はわたくし本厄でございます。
今年も一年、何回投稿できるかわかりませんがよろしくお願いいたします。


それにしても、これについて。

ため息が出てしまいました。
場所は台東区某所。

勘が鈍っているボクにいまはなにもコメントする資格はなさそうです。

でも、久々にこころに潤いを感じました。


2013年に消えてしまった愛おしき昭和たちよ、気が付いてあげられなくてごめんね。





2013-06-02

ありふれた風景の中から自分の立ち位置を普通に再確認してみる



いやぁ、それにしてもまた久々の投稿になってしまいました。
懲りずにここを覗いてくれているみなさん、どうもお久しぶりです。

このご時世、ブログをまめに更新するのは容易ではないようです。
(自分のせいなのはよくわかってます)
そろそろ2013年も半分終わってしまいそうな勢いなのでここらへんでひとつ。

豆腐店。

パッと見、絶滅危惧種的な存在に思えますが、実はそうでもないような気がします。
いずれも古くから営業しているお店が多く、「なんとか残っている」風な佇まいでありながら
結構日本人の深い部分での需要にぴったりと合っているのかもしれない思ったりします。

この風景に何を学ぶか?
たぶんこういうことじゃないですか?

こだわりの理念、クウォリティー、人とのつながり
そして信じる心。

大事にしているものを大事にする事を貫く。
事情は知りませんが、そう想像して自分への糧にすれば良いわけです。

でも、これは確信しています。


人は、知恵がついたり便利になったりすればするほどこう感じるはず。
それは、


今で良かったけど今じゃなくても良かったな、と。













2013-03-11

2013.3.11





時を想うこと。

それは人を想うこと。

年月日秒ではない「愛」のことです。


果てしなく広がる過去と未来の軸に想うその心こそが
すべてだと、そう信じるわけです。


2013-03-04

春がくれば思い出す遥かな屋上遊園地遠い空





先週訪れたここは、銀座松坂屋。
何度か足を運んでいますが、やはり落ち着く場所ですね。

どうやら昨年のいまごろ上野松坂屋に行っているようです。
冬も終わろうとしているいまぐらいの季節に自然と行きたくなってしまう
のでしょうか?

でもでも、
ここ銀座松坂屋は建て替えのため6月には閉店してしまうそうです。
屋上遊園地の管理人のおじさんに詳しくお話をきこうと思い話かけた
ところあわてて遊具の調整や遊んでいる親子のヘルプに
駆けずり回っていました。
(たぶんめんどくさい人に声をかけられたと思ったのでしょう)

次回はもっといろいろ聞き出して、古くなったゲーム機獲得作戦に
乗り出そうと企てているわけです。

それにしても着実に消えていきますね…。


「いつまでもあると思うな 親と屋上遊園地」

2013-02-08

そこを「平成有楽街」と名付けられたことにして勝手に未来の風景にしてみる



この風景が平成25年のいままだ普通に見られる事に
もっともっと感謝すべきだ。
と、夜の蒲田は教えてくれたわけです。

ちょっと想像してみてください。
がらりと変わったライフスタイルによって造り替えられた
何十年後かの新しい街(人が住むところ)を。
この風景が「ラーメン博物館」とか「ナンジャタウン」のように
見えてきませんか?

ボクの気持ちはこうです。

そうに違いないという想いと、そこに気が付き敬い尊び、町並み保存に関心のある慈悲深い
若者がこの類いの風景を残す事に成功し、未来の高齢者たちに「サンクチュアリ」を
提供してくれる、という想い。

先の事はわかりません。

でも、その時代の人が誰もいない江戸時代の町並みでさえも完全ではない
とはいえ現存しているくらいですから、強ち単なる空想話でもないと思うんですが…。


2013-02-04

普通の日常風景に久々に気が付かせてもらった冬の大津から節目の40歳について考えてみる



なんと!
気がつけば前の更新から5ヶ月が経っているではないですか。

いままでずっとサボってきました。すみません。

一応、これが2013年お初ということで、今年もよろしくお願いします。

言い訳をすると、なかなかここのところ「眼」が向かなかったんです、街に。
あまりにも将来のことを考えすぎていて。

本来、「両サイド」を確認しながら前に進んでいくのがボクのスタイルであったはずなのに…。
まぁ、こんな時期があっても良いと自分では思っています。

でも、ご心配なく。
携帯はガラケーのままだし、相変わらず昭和と酒が好きなので。


久々の投稿、写真は本当に普通なのを選んでみました。
先日、出張撮影で訪れた大津の街のなんてことのない日常です。
たぶんボクが好きなのはこういうことです。


やっぱり普段の生活でも立ち止まる余裕がないとダメですね。


今年は3年前に仲間と起こした写真事務所が4年目に突入します。
2013年、40歳の節目。

さらに前進することをみなさんにお約束します。

これからもよろしくお願いいたします。




2012-09-04

言葉につまる風景に出会える幸せについて考えてみる





これはちょっと言葉が出ませんでした。
そうとうな深みにハマった感じです。

ここはまさに、最近ボクの中で固定化しつつある、「自分基準世界遺産」
の文化遺産部門に楽勝で登録ではないでしょうか?


よけいな言葉は必要ないようです。


ここのところ疎かにしている「世界遺産」の調査を再開しなければ…

2012-09-03

「情報社会」も死語になりつつあるこの情報社会をどう生きるかを無情報の中考えてみたいと思う昨今





またまたご無沙汰してしまいました。

理由は…、夏バテ?
最近、熱中症がメジャー化しすぎて夏バテという言葉を
あまり見聞きしなくなりましたね。それはさておき、本当の理由はやはり「ネット疲れ」
なんですかねぇ。

どうなんですか?みなさんは。
この便利な社会に慣れすぎて様々なことが当たり前になっていると思いますが、
どこまで信用できますか?そんな社会を、そんな自分を。

軽いもやもやサマーバケーション中にこんなステキな風景に出会いました。

確かじゃないですか?
とても確かじゃないですか?

難しい「言語」はどうでもいいです。こういうトキメキがほしいんです。
このトキメキなんです、実際に信用できるのは。

人によって基準は違うでしょう。


でも、「確かなモノ」を求める心は皆同じでは?









2012-06-30

よしんばそれが「自分に対しての訴え」だとしても?



けっこう久々の投稿です。
理由は特にないです。なんだかちょっと離れたかったのかもしれません。

しかしどうしたものかと思います。

今日は金曜日で(日付は変わりましたが)、首相官邸前では反原発デモが行われていました。
基本的にはボクも同意です。デモに参加しようかなとも思いました。
電気料金の値上げももちろん納得できる物ではありません。
その辺は皆同じ意見でしょう。

でも、ボクが感じているのは、「今だからこそ日本人だってちゃんと主張して国を変えて行こー!」
の一体感じゃぁないんですよね。そりゃそうなんですけど、でもちょっと違うんです。

電気が必要→電気を作る→事故が起きた(原発事故)
安く移動したい→ずさんな管理で運行→事故を起こした(バス事故)

問題はこの構図じゃないかと思うわけです。
この構図とはまさに「日本人そのもの」、すべてです。

原発再稼働が危険だというよりも、何事に置いても利便性を重視する生活そのもの
が危険なんじゃないかなと。

まぁ、そんなことはライフラインを使わずに生活できるヤツが言えって話でしょうけどね。
社会がそんなに単純じゃないことぐらいわかってます。

でも、もっともっと広く考えませんか?我、日本人。


そうです。
つまり、視野を広げ柔軟になれ、自分。




2012-05-16

東京タワーがいつか世界遺産になるかもしれないと勝手に想像してみる



最近、東京タワーを愛おしく感じる人って結構増えている
のではないでしょうか?

理由はいわずもがなですが、ボクが思うそれは、
このなんともレトロでかわいく以前より確実に小さく見える鉄塔が
役目を終えたどころか、これから真の意味での建造物としての価値を
どんどん高めていくんじゃないかというところです。

テレビやFMの送信などはどうでもよく、重要なのは成長し変わり続ける
東京の中で「変わらないもの」としてあり続けることだと思うんです。

日本の高度経済成長を見守った昭和の建造物だから周りにも昭和が
残っていてほしいところですが、もういいんですそういうのは。
どうせ変わっちゃうから東京は。
いつもいつも変わる街の風景の中で対比される存在であってくれれば。

それが今後何十年何百年と続いて行く事を心から願います。


なぜなら、21世紀に完成したスカイツリーにはそれだけは絶対に
抜けないことだから。






2012-05-04

やはり好きな物には偏りがあるはずだとふと考えてみる



小学校高学年の頃、図工の時間に校外へ出てスケッチする授業がとても好きでした。
ただ遠くから、いつもとちょっと違う角度から校舎を眺め描いているだけでなんだか
少し大人な気分になっていた記憶があります。
描いた線に、筆を選び絵の具をまっすぐに引いていく作業にどの科目のどの場面にも無い楽しさを
感じていたボクは根っからの図工好きだったんだと思います。

この写真をみて、いま小学校の課題で「街風景を描く」などとあったならばここを選んでるかも、
と思った次第です。
写真的には彩度をあげてますが、描いたとしたらおそらくこんな色づけをしたんじゃないかな、
あのころのボクは。


意外と子供の頃から色彩感覚や構図の感覚って変わってないのかも。

2012-04-09

自分的今昔総論



アメリカ社会でも若者の車離れが進んでいるとのことです。
その理由として、ネットの普及により他人と会う機会(必要)が減った
もあげられるんだとか。

さて、豊かな社会とはいったいどういうことを示すのでしょうか?

この写真の場所が輝いていた時代は、人々の間に「生きたお金」
が行き交うさぞかし明るい(と思われた)世の中だったんでしょうね。

そして、おそらく今よりもっと、人が人を感じることが出来たのでは
ないかと思います。
たとえその目的が、ただ飲み明かしたり女の子と一緒にいる
だけであっても。

サザエさんを観ていたらあらためてあることを認識しました。

こんなに時代が変わったのに、物語に携帯やPCが出てくる事は
まずないなぁと。

サザエさんは不変。
そんなの当たり前なんですけど、それに癒され相変わらず視聴率が高く
日本国民の支持を得ているその現実に、どうしても現代人の憂いを
感じてしまうのはボクだけではないと思います。


近い将来、サザエさんは豊かな時代を象徴する「日本昔話」の域に
達するのでは。






2012-03-26

だから写真を撮る自分がいるのだと前向きに考えられる由々しき問題



風景(自然ではなく人工物含む街)を楽しむときに、こんな遊びをします。
それは、こいつらはボクが死んだ後も存在しているのか否か。
人生まだ40年程度しか経過してませんので、
たいそうな事は言えませんが、皆が思っているようにボクも思うわけです。

「なんでこんなに世の中の移り変わりは速いんだろう」と。

ここを通ったどれだけ多くの人がこの世を去っているのだろうか。
また、これから誕生してきてここを通り過ぎる人がどれだけいるのだろうか。
たぶんここにはここの独特な時間が流れているのでしょう。
この風景にはそんなおおらかさを感じるわけです。

なかなかうまく表現しづらいですが例えると、ETC割引の早見表みたいな感じ?

自分がいまどこにいてどこに属しどこに適用され、のような。
つまり今まで何に出会いこれから何に出会えるのか、と。
わかりやすい歴史的建造物とかはいいんです。わかりやすいロマンがあるので。

ボクが言いたいのは、普通の事象に関わる自分について。


この問題、非常に説明しづらいです。





2012-03-11

3.11



今日もいつもと同じ麗しき日。

生きてる事にありがとう。

どこかでだれかが笑っていればそれで良いじゃないか。

厳しい現実があるからこそ、そう思わないとやってられない。

未来へ向けて、ちょっとだけでも前に進まなきゃ。

2012-03-06

なぜここに訪れたいかをもう一度考えてみた



上野松坂屋の屋上遊園地。

21世紀になり急激に姿を消しつつある、偉大なる昭和の遺産のひとつです。
ここのところメディア等でささやかな脚光を浴びているので、気になって遊びにくる方は
結構増えているんじゃないかと思います。

それにしてもショッピングや娯楽のあり方がずいぶんと様変わりしましたよね。
ボクより年配の方はもっとそう感じると思いますが。

この衰退する百貨店やシャッター商店街など言わずと知れた現代社会で浮き彫りに
なっている問題は、人々のライフスタイルが大きく変わってきていることの映し鏡であること
ぐらいだれでも想像はつくわけですが、ショッピングといえば百貨店、映画といえば映画館、
のようなわかりやすい思考、選択、行動で喜びを得ていた時代の方がいまより
豊かだったのかもしれないと考えてしまう事もあります。

その「ライフスタイル」が個人主義の要素が強くなり、車社会はますます進展し、
複合している事を当たり前のものと考え、専門的な人(商人など)をあまり必要と
しなくなってきているおかげで、どこにいってもたいして代わり映えのしない郊外の大型
ショッピングセンターを増殖させ、シネコンをつくり、併設もしくは隣接する電器屋や
ホームセンターなどがさらに便乗し、便利でありがたいけどとってもつまらない「街」を
つくってしまっているのではないでしょうか。

もちろん大規模小売店舗法のあり方が大きく関わっているのは
わかりますし、人々が求めている方向の結果であることはよく
理解しているつもりですが、それにしても寂しさを感じてしまいます。

まぁ、かくいうボクも都市に暮らしなにひとつ地域活動をしている
わけではありませんし、実際いまの業態の利用者なので偉そうな事は言えませんが…


だからこそ、せめて「旧き良き時代」の写真をたくさん残しボクなりの共有、協力ができればな
と思っている次第です。


















2012-02-27

そっと営み主張する彼らに気づいてあげなきゃと思う39歳1週間



もともと平面空間を撮るのが好きなのを自覚はしてますが、
このような「間の抜けた」感じの空間がやっぱり好きだなぁって
あらためて思います。

ビルの窓に反射した光があってこそのコレであることは間違いないですが、パイロンたちの
ささやかな主張が心地よくボクに訴えかけてきます。


2節同じような書き方をしましたが、
つまりは、

「そっと営まれている事象を放ってはおけない」

いう事なんだと思います。

そのときにカメラを持っていたことをキセキとせず、普段見過ごしている愛おしい
「営み」に気づいてあげなきゃと急に焦りだすおじさんも先週39歳になりました。


有限事項(有言実行)、心得ないと。









2012-02-23

ピンクのバスが走る風景



旧海岸通りや元なぎさ通りなど、昔の海岸線から埋め立てなどにより海岸線が外へ伸びた
都市部などでよく見る地名があります。
それらはもともとの海岸線はココだったんだよという由来があるわけですが、都市の発達とともに、
漁港や養殖場だったところが埠頭や空港、石油コンビナートなどにかわり、さらなる利便性や発展に
役立っているわけです。

3.11の震災による東北地方の海岸付近の様変わりは、皆が映像などで目にしていると思います。

都市に住んでいると忘れがちですが、海に囲まれた日本のほとんどの海岸ではその「海の幸」によって
生活を守られている事実があります。
それは太古の昔から変わらないであろう、日本人が受ける恵みなんだと思います。
その恵みを与えてくれていた海に、今回は相当な厳しさをもらったわけです。

街の復興策として、市街地を高台に移すことも考えられていると思います。
何十年後かに完全に「低い土地」から人々の生活の営み(漁場を除く)がなくなったときにそこは、
「市街地跡地」とされてしまうのでしょうか?
それともまた正々堂々と立ち向かっていくのでしょうか?

そして、あらためて考えてしまう事は、都市部の海岸線での「自然の逆襲」はずっと蓄積され
続けていてそろそろ爆発するんじゃないか、と。
汚染によって海産物が食べられないとかのレベルではなく…という意味で。

湾だからといってナメンナヨ!と聞こえてきそうです。
原発事故でその代償を福島県民に強いている東京湾岸民(首都圏民)、覚悟は出来ているかい?


そんなことを想像する事も出来ないくらい、平穏なピンクのバスが走る風景、とは?


※あくまでも個人的見解、感情、思想による“日記”です